1980
 「ズームイン朝」にアメリカのフリスビージュニアチャンピオンが登場し,飛んできたフリスビーをディレイして,レッグス,ティップ,ボディーロールと軽やかにやってのけました。「なんじゃこりゃ〜〜〜」
 浪人中の身でありながら,当時,公園で知り合った広告代理店のアメリカかぶれのお兄ちゃん達とフリスビーで遊んでいたので,フリスビーに関する情報に飢えていたところにこの映像と出会い,それからフリスビーモードはさらに加速することとなりました。
 本屋さんに行ってフリスビーの本を探したところ,「フリスビーハンドブック」がみつかり,隅から隅まで毎日のように読んでいました。
それに,ネイルディレイはフリスビーにシリコンスプレーをふりかけるとあったので早速購入し,毎日ディレイの練習に励んでいました。

 鎌倉書房の「スポーツノート・フリスビー」も私にとってバイブルでした。大学時代に誰かに貸したまま行方不明になってしまったので,それが残念でなりません。
 1万円出してでも手に入れたいほどです。
 当時,フリスビーの輸入元は名古屋の「東和通商」でフリスビー協会も名古屋にありました。カタログのほとんどディスクは購入しましたが,中でも「ワールドクラス165G」はフリスタ用にたくさん買いました。
 年間に平均20枚はディスクを買っていると思うので,これまでに500枚は買っているのかもしれません。
 今となってはレアなディスクもティップで割れたりしてたくさん捨ててしまいました。
 現在40代の往年のプレイヤーは多分みんなこんな感じだった,いやそれ以上だったでしょう。

1979年5月20日発行の「フリスビーハンドブック」
訳:小林信也さんにサインをしてもらいました。

「東和通商」のカタログ
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 福岡の情報誌「ふくおか」の仲間募集コーナーに”ローラースケートやフリスビー”を楽しんでいます。というのが載っていたので,早速,練習場所の大濠公園に行きました。そこはまさしくカリフォルニア・サンタモニカの雰囲気でローラースケートやフリスビーで遊んでいる10・20代の若者がたくさんいました。みんなアメリカ大好き少年少女でファッションも大きく影響を受け,コンバースのオールスターやナイキのシューズを履いていました。
 そのチームはローラスケートがメインでしたが,私はもっぱらフリスビーばかりやっていて,フリスタで注目を浴びるのが快感でした。と言ってもたいした技はやっていなかったのですが・・

 阿蘇オープンの時に,諸岡さんから「スポーツノート貸してあげるよ!」と言われて,送られてくるまでワクワクしていました。待ちに待った封筒が届き,中から「スポーツノート」を取り出すと一気に1980年にタイムスリップしていきました。
 こんなにたくさんページがあったのか〜!どうしてなくしたんだろう?なんでもっとちゃんと探さなかったのだろう。とクヨクヨモードに突入しながらも,ページをめくるごとに感動し,没頭していました。
全ページカラーコピーして,「スポーツノート」もどきを作ろうと思います。諸岡さんありがとうございました。

 

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