| 1981 | |
この年の情報誌「ふくおか」2月号?に久留米のフリスビーチームの仲間募集がありました。早速連絡をとり,代表の藤木さんと会うことになりましたが,すでにこのときにフリスビーの九州大会がこの年の正月に久留米で行われていたと言うのを知り衝撃を受けました。その大会には熊本に帰省した横田さん(獨協大学)も参加されており,後に日本フリスビー協会が発行していた「FRISBEE
DISC TIMES」で知ることとなりました。大濠公園で,藤木さんとフリスタをしたところリムディレイを使った流れるような技を初めて見たので感動しました。そのころフリスタには自信があり,「福岡では自分が一番うまいに違いない」と思っていたのでショックだったのも覚えています。 受験生だったのにもかかわらず,週末には久留米まで練習に行ったりしていました。 なんとか大学に合格し,3月22日に行われた北九州市での大会に参加しました。陸上競技上に入る前に壁のすきまからフリスビーが飛び交っているのをみてとてもワクワクしました。競技場に入り全体を見渡したとき,こんなにたくさん自分と同じようにフリスビーが好きな人がいることが感激でした。 この大会をきっかけとして,ますますフリスビーにのめり込み,福岡市に「福岡フリスビーファミリー」を,大学に「福岡教育大学フリスビー愛好会」を作って,活動していくことになります。 大学の4年間は,九州大会の運営を中心に行い,久留米や熊本でよく大会を行っていましたが,その頃は連絡はもっぱら電話や手紙で,大会プログラムも手書きで,コピーをとって作っていました。現在の,パソコンやインターネット環境があればどんなに楽だったことかと思います。しかし,若いときの苦労が現在の協会運営に役立っていると感じています。 藤木さんとの出会いがこの年のトップニュースだったことは間違いありません。 |
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この写真は82年のものかもしれませんが,私の部屋はフリスビーで埋め尽くされていました。今見るとレアなディスクがいっぱいですが,ほとんどはフリスタで割れてしまいました。何枚かは今も持っていますが,自分のことながらあらためてすごいと思います。 この頃,通信販売をしてくれたのは,銀座の洋書の「イエナ」でした。ある時,母が東京に仕事で行ったのでフリスビーを頼んだところ,20枚以上も買ってきました。母曰く「だってどれ買っていいかわからなかったから・・・」も〜"かあちゃん最高!"って感じでした。 |
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| 1981 All Japan Frisbee Disc Championships | |
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7月24日〜26日藤木さん達といっしょに初めての全国大会に参加しました。東京に着いて,吉祥寺のフリスビープロショップ「AIR
ACE」に行って興奮し,井の頭公園でちょっと練習しました。 泊まりは,藤木さんの紹介で,青学の「パワーハウス」が泊まっている旅館にいっしょさせてもらいましたが,現在でもプレイヤーである稲見直子・川崎さん・三田兄弟・山代貴丈選手の姿が見れます。今更ながらすごいメンバーの宿に泊めさせてもらったんだなあと驚きです。 この頃は,フリスタが大会のメインで,予選・決勝とも盛り上がっていましたが,決勝の北野・斉藤ペアは別格で,その素晴らしい完成度に会場内がどよめいていました。 陸上用のパンツなんかはいていますが,その頃にしては珍しい「チャンピオンプロダクツ」のパンツで気に入っていました。ハイソックスが時代を感じさせます。トシちゃんと同じナイキの赤のコルテッツも大のお気に入りでした。※トシちゃん=田原俊彦 |
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80年代フリスビープレイヤーの多くが雑誌「ポパイ」を読んでいました。当時の「ポパイ」はアメリカしてて,フリスビー情報もよく載っていました。左の記事も「ポパイ」のもので,山形の柿本ちえちゃん,横田夫人の木谷真佐子さんが日本初のローズボールプレイヤーとして紹介されています。 今はお二人ともお友達ですが,当時は雲の上の方々でした。 |
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